2019年08月31日

ジュークボックスって、どこにあるイメージ?

お金を入れると映像と音楽が流れる機械ってのがあります。ジュークボックスとかいう。

Wikipediaによれば、日本での導入は、戦後の進駐軍によるものとされており、1970年代まで飲食業やホテルなどに設置されて全盛期を迎えたとのこと。

僕がジュークボックスを知ったのは、1990年代前半に、家族と共に訪れたボーリング場にあったものを見たときなのですが、残念ながらこれ以降、ボーリング場以外で置かれている者を見たことがありません。

どうやら、バーとかには置かれていることがあるらしいですが、残念ながらバーに行ったことがないのでわかりません。
バーというと、ドラクエの酒場のイメージで、吟遊詩人(ぎんゆうしじん)的な人がいて、「アルコールを入れると歌がうまくなる」といって歌(ラララ〜)を歌うみたいなシチュエーションは頭の中にはあるのですが、ジュークボックスが置かれているイメージは、僕の頭の中にはなかったりします。

ってか、吟遊詩人ってなんだよ。
これこそ、ゲームの中だけの架空の存在というイメージしかないや。

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2019年08月30日

Google検索でヒットしない物は、この世には存在しない物とみなす時代の、制作物の生き残り方

INASOFTでWeb上のヘルプを公開している理由は「Google検索でヒットしない物は、この世には存在しない物とみなす」という人への対応ということは、以前に書いたかと思います。

あるいは、みなしているだけでなく、本当にそうだと信じている人もいるかもしれません。
類似例で、「Twitter上で折鶴を作りますと言っている人を見たことが無いので、折鶴を折る人は想像の存在」と言い切っている人がいましたので。(実際には、折鶴を折るような老人や小学生は、Twitterをやっていない)

ちなみに、10年前のサイトは、Google検索でもヒットしなくなると聞いたことがありますので、10年以上前のサイトも、「この世に存在しない物とみなす」とされてしまうのかもしれないと思うと、ちょっと怖いですね。

まぁ、それくらい前の話になると、ジオシティーズの閉鎖やはてなダイアリーのサービス終了など、様々な古参サービスの終了により、記事そのものがこの世に存在しなくなっているという可能性もありそうです。

かつての「管理人のひとこと」みたいに、半年より前の記事を積極的に消しているケースもありましたし。

前に書いた、各サービスがクローズし、自サイトもクローズした後に、「この世に自分や自分の作成物がが存在していたことの証」みたいな形で残るのは何か?みたいな話もありますが、こっちの場合は、「生きている記事」「生きているソフト」としていつまで有効に存在できるか?という次元の話ということになりますね。

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2019年08月29日

公文書破棄問題と自作ソフトのヘルプ破棄問題

最近、公文書の破棄や改ざんの問題がクローズアップされたことがありました。
第二次世界大戦の終戦直前に、戦犯として追及されることを恐れて、公文書の焼却を全国に指示したという話から、国会での野党からの追及やマスコミ/市民団体からの追及を恐れての破棄であるとか、そもそも物理的なスペースやハードディスクの空き容量の問題からの破棄まで、いろいろありました。

物理的なスペースやハードディスクの空き容量の問題からの破棄の場合、職員は「自分(達)の仕事に必要か」を判断基準にして、破棄しないか/するかを選択するため、歴史的な重要性が判断基準にならず、歴史的に重要な資料が破棄されてしまうこともあるのだとか。

世間的に重要度が高いかはわかりませんが、自作のソフトについても、今自分がレンタルしているサーバの維持が困難になったら、破棄されることになります。

レンタルサーバの維持費用の捻出は、私の趣味の費用で出しているわけですが、子供の習い事が増えたり塾に通うようになったり大学に通うようになって、生活費が増加すれば、私の趣味に費用は簡単に削られるわけで、あっという間に維持困難になります。

いちおう、寄付の受け付けやGoogle広告の掲載は行っていますが、日本では寄付の文化がないことと、最近ではWeb広告のヒット率が低下していることから、収益にはほぼ繋がっていません。

現在の寄付状況の事を考えると、クラウドファウンディングとかをやろうとしても、散々な結果になるのは目に見えていますし。

サーバの中身がなくなれば、公開中のオンラインソフトにしても、各種記事にしても、ブログにしても、オンラインヘルプにしても、この中に作ったものは無くなります。

「窓の杜」からもダウンロードできるようになっていますが、以前(20年くらい前)に、窓の杜は、メイン配布元がある場合のミラーという位置づけなので、メインの配布先が停止すれば、窓の杜での配布は停止すると、当時の編集の方から聞いたことがあります。
それ以前に、先日の「自虐ツイート」の件もありましたし、窓の杜自体の存続がどうなのか、という心配もあります。

Vectorについては、メイン配布元がいなくなったからといって配布停止することはないと思われますが、最近ではライブラリ更新の人員不足で、更新頻度を大幅低下させる旨の連絡が来ておりました。モチベーション的なことかもしれませんし、そもそも事業としてサステナビリティがなくなってきているのかもしれません。

なにせ、PC向けのオンラインソフトに、今、どれほどの重要性があって、どれほどの収益につながるのか。
スマホ用のゲームアプリならまだしも。

となると、既にユーザーの元にダウンロードされている圧縮ファイルであるとか、大昔に雑誌収録された際のCD-ROMやDVD-ROMなんかが、僕の書いた文章の生き残る場所になるかもしれません。
(もちろん、オンラインソフトそのものも)
大昔に雑誌収録されたものであれば、国立国会図書館に入っていたりしませんかね。
これは、オンラインメディア(ダウンロード文化先行)時代以降にはない利点かもしれません。

そういえば20年くらい前、「いじくるつくーる」のヘルプを「ドキュメントライブラリ」として大規模に整備した際にも、同じようなことを思ったことがありました。結局、最後に残るのは、オフライン上に置かれたファイルになるのではないか、と。

あのころは、MSDNライブラリが納められたDVD-ROMにあこがれていました。
仮にこの先、マイクロソフトが終焉を迎えるにしても、マイクロソフトが作成した大量のMSDNライブラリ、文書群、月間記事群は、このDVD-ROMの中に残ります。たぶん、半世紀ぐらいは。

いじくるつくーるに含まれる大量の記事「ドキュメントライブラリ」を含んだDVD-ROMとか、ユーザーのハードディスクにも、たぶん、残ります。たぶん、半世紀ぐらいは。

最初に書いた公文書の話ほど、重要度の高い記事ではありませんが、製作時に考えた経緯とか、開発当時の技術的な背景とか、その時の想いとかは、ふんだんにヘルプ内に残しておく方が、よさそうな気がしてきました。

レンタルサーバが維持できなくなる時や、窓の杜・Vectorなどが維持できなくなる時などは、いつ訪れるかはわかりませんが、おそらく半世紀後とかを考えれば、普通に訪れていてもおかしくないので。

そのころにDVD-ROMを読める機器が残っているか、みたいな問題はありそうですけどね。
今のフロッピーディスクみたいに。
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