2020年10月16日

お気持ちと感情の会話と、論理的な会話。小学生相手の会話は難しい。でも、どっちが上?

比較的ロジカルな職場で働いていると、世の中のすべての会話は論理的に通じると思い込んでしまいがちであり、自分も20代〜30代序盤のころは、そうだと思ってしまっていました。

しかし、子供ができ、5歳とか7歳とかと会話をしていると、論理的な会話なんてできるわけでなく単語と勢いの「お気持ち」だけしか会話の役に立っていないなと思うことがあります。

いや、振り返ってみると、自分が高校生くらいになるまでの、父親との会話も、そんなだった気がする。
勢いとお気持ちの会話だった気がする。
自分がある程度大きくなり、持っている情報量で会話のマウントを採ることができて、もしかしたら体力で制圧できるかもしれない、そんな立場を手に入れて、ロジカルの会話が成り立つようになったような気もする。

最近、特にそれを意識したのは、こんなことがあったことがきっかけです。


7歳の長女から、算数でわからないところがあると言われて教えに行くと、「(ア)〜(ク)の図形のうちのどれが正方形かを選ぶ問題が分からない」と言われた。

四角形で、全部の角が直角で、4つの辺の長さが同じだよというのは先週教えたのだが、まあ、それを再度伝え直す。一発で覚えられるわけはないだろうから、それ自体は仕方ない。

ただ、最終的には教える人の顔色を見ながら、(ア)かな? (イ)かな? (ウ)かな? と一つずつ聞いてくる状態になってしまった。
あ、これ、前に本で読んだな。7歳くらいだと、会話でも文章理解でも、そこから生じる「感情」「気持ち」で汲み取って回答を求めようとする。
言葉の一つ一つの意味を理解しようとか論理的に考えるようとかは思わない。

たしか、養老先生の本だったか、東ロボくんの新井先生の本だったか、ガイナックス初代社長の岡田さんのYouTube動画だったか……そこらへんで観た気がする。
というわけで、知識としてはこの状態を理解していたが、いざ目の前にしてみると、この状態でどう教えたらいいもんか、目の前は真っ白。

そんなことを考えていたら、長女は自分の顔色をどう読み取ったのか、答えを(カ)だと思ったらしい。
もうすでに答案用紙に(カ)と書いてしまっている。違う。それは長方形だ。答えは(キ)だ。

というわけで、違うことを伝え、改めて正しい答えを考えてもらったところ、自分の顔色から(キ)だと推測し、消しゴムで(カ)を消して、(キ)と記入する。

ところが、消し方が甘い、というか、全然消せていないので(カ)と(キ)が重なった謎の文字になってる。
これでは読めないでしょ?と伝えるのだが、「読める!」と強く主張し、消しゴムで消すことを頑なに拒否。

改めて「君は読めても、赤ペン先生は読めないでしょ!」というと、今度は答案用紙を床に落とすという行動に出る。で、床の上に座り、床の上の答案用紙に消しゴムを当てて、文字を消そうとする。ごめんキレそう。
うん、この状態で、どうやって冷静に、論理的に、7歳児に算数を教えろってんだ。

キレ散らかしてもいいんかな。まぁ、ダメだろうね。分かってますよ。大人だもん。

多分いくつかの問題に分類できそうだ。
まず、論理的に文章を理解しない/感覚と感情だけで文章を理解しようとしている7歳児に、算数(数学)における図形の定義を理解してもらうにはどうしたらよいやら。
それと、いわゆる「ちゃんと」することをさせようとすると頑なに拒否する…というかヒステリックになってしまいがちな性格の子供にどう対応するか。

この年齢の児童たちを30人以上も集めて、ちゃんと算数を教えられる学校の先生ってもんを尊敬する。

もし、仮に、この年齢の子が対象な状態で、世界のコロナ状況が大変深刻化して、完全リモート学習の時代が到来してたら、どうなっていただろう?
正しく家庭学習をさせてられる自信が無い。


今回の話の主題は、この話の前半部分。(後半は、今のところ、どうでもいい)
本来は、論理的に、正方形の定義を正しく理解し、その知識を利用して(ア)〜(キ)の中から正方形を選択しなければならないのにもかかわらず、話し相手の顔色から正解を推測して、それを回答欄に書こうとすること。

お気持ちと感情の会話から、答えを導き出す方法は、たぶんある程度の年齢の子供であれば仕方のないことだし、大人でもこの方法で答えを導き出している人は多くいる。

とはいえ、おそらく人間が他の動物と違うところは、論理的な思考を使い、本能(遺伝的優位)と経験則に頼らず、物事を効率よく前に進めたり、危険を回避したりできることだと思うので、論理的な思考は身に着けておいて欲しい。

困ったことに、感情的なお気持ちの会話でも、なんとなく正しい答えにたどり着いてしまうことも多かったりする。
でもそれだと、優位に立つのは難しいだろう。色々と。

日本語が正しく読めてなくても、直前に習った単元の計算テクニックと、文章中の数字だけを当てはめて、なんとなく算数の単元別テストは解けたりする。でもそれでは、学年末テストや受験は乗り切れない。

日本語が正しく読めてなくても、単語ごとの意味と、直前に先生が語ったトークから、なんとなく国語の単元別テストは解けたりする。でもそれでは、学年末テストや受験は乗り切れない。

上の文章の中で「東ロボくん」の話が唐突に登場していますが、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という新井先生の本のことを書いています。この中で、上位の大学の入試をAIに解かせるということにチャレンジしており、どうやら偏差値65くらいは獲得できたりするらしいことが書かれています。とはいえ、現在のAI技術は、感情を持ったり、意味を理解したりすることはできないので、統計や確率など、高速な数学のパワーでごり押しして解いています。それでも、偏差値65を獲得することはできてしまう。

ということは、偏差値65を下回る成績の人間の仕事を、AIは奪うことができてしまうかもしれないという、恐ろしい未来が予測されています。

たぶん、人間が感情とお気持ちの会話だけで入試問題を解こうとすると、AIによるごり押しパワーに勝てなそうな気がします。
となると、子供たちには、感情とお気持ちの会話ではなく、論理的な思考を身に着けていってほしい。


さて、ここまで考えた時、感情とお気持ちの会話よりも、論理的思考の方が上位の存在なのか?と思ったりもしますが、先日、あるブログ記事を読んで、実はそんなことはないことを知りました。登 大遊さんという、かなり天才肌な方が、だいぶ前(2007年)に書かれたブログ記事なのですが、この方のプログラミングスタイルは一風変わっていて(というか、一風変わっているように見えてしまう)、上で言うところの感情とお気持ちのパワーでプログラミングをしています。

人間は…というか、動物は、感情とお気持ちの方が、省力的に物事をこなすことができます。
というか、何でもかんでも論理的にやろうとすると逆に大変なことになります。
例えば、ご飯を食べるときに、手を動かして箸を持ち、箸を動かし、口まで食べ物を運び、口を動かして胃に食べ物を運んでいるわけではないように。いちいち論理的に考えてやっているわけではないのと同じように。

というわけで、ある程度論理を身に着けたら、逆に、感情とお気持ちのパワーの方も使いこなせるようになれると、とても優雅な生活を送れそうな気がします。

ちょっと前にあるYouTube動画(ガイナックスの初代の社長さんですね)を観ましたが、論理的思考を身に着けた人が、感情とお気持ちのパワーを使いこなしてトーク力を鍛えると、強烈な詐欺師になれたり、ネット上で情報商材を売りさばいたりできる、みたいなことを言っておられましてね。
(23:50「読解力の低下」のあたりから。僕が「論理的思考」と表現しているものは「理屈で考えられる人/頭の良い系の人」、「感情とお気持ちのパワー」と表現しているものは「感情とか感想しかやり取りしない層」と表現されています)

もしかすると、秒で億を稼ぐ人とかの思考って、そんな感じなのかもしれません。


posted by ayacy at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | プログラミング
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