2020年05月19日

「正義の暴走」に「正義」とつけることのおかしさと仕方なさ。自粛ポリス・自粛警察現象。

先週、夜にラジオを聞いていたら、最近の「自粛警察」「自粛ポリス」と呼ばれる現象(ルールを守って営業しているお店、あるいは、そもそも営業を休止しているお店に対し、嫌がらせの張り紙などを行う行為等)について、いわゆる「正義の暴走」としている点について、悪いことをしているのに、暴走とはいえ「正義」と名付けるのはおかしい、という意見があるという話を聞きました。

確かにその通りなのでしょうが、ただ、おそらくやっている本人は、正義だと思っているだろうし、あるいは、「ちょっと懲らしめてやろう」程度の想いなのかもしれません。

その話題を受けて、番組内では、戦前の過度な思想取り締まりであるとか、ナチスのそういった秘密警察的なものは、警察組織の力だけでなく、「密告」などの「市民の力」も大きく発揮されていたという話が出ていたかと思います。
おそらくこれらも、やっている本人は、正義だと思っているだろうし、あるいは、「ちょっと懲らしめてやろう」程度のものかもしれません。

実際、隣人とのトラブルが原因で、「ちょっと密告してやろう」「懲らしめてやろう」という程度からというものもあったのだとか。

そういえば(私は「自称正義」と呼んでさしあげましたが)、2015年に、虚偽の事実を信じ込んで、私のことを糾弾してきた人がいたことが思い出されます。ウイルス対策ソフトの不備に関連することなので、あまり思い出したいことではないんですが…。
その人も、そういった「正義の暴走」の一環なのだろうというのが、私の理解です。

例のウイルス対策ソフトの騒動自体もそうだし、先の、虚偽の事実を妄想して糾弾してきた人もそうだけど、彼ら彼女ら自身は、特に「悪いことをしてやろう」「自分は悪人だ」と思って行動を起こしているわけではないと思います。というか、そう信じたいです。

ウイルス対策ソフトメーカーの中の人が、「自分は悪人だと自認」しながら日々生きている・日々仕事に励んでいるとは思いにくいわけで。(まぁ、多少「サボってしまう」「大企業病の壁が登れない」みたいなのはあるかもしれないですが)

世の中、ドラゴンボールに出てくるフリーザみたいな、わかりやすく「自分は悪人だ」と自認している人ってのはあんまり?、いや、ほとんど?いなくて自分が正義だと思って(思い込んで)行動していたり、「この行為は、ちょっとした懲らしめだ・懲罰だ・天誅を下してやっているんだと思って」行動している人がほとんどなんだろうなと想像します。

昨今のコロナ禍に関連して、生活必需品等をメルカリで転売している人も、もしかすると、自分が悪人だとなんて全く思っていない、みたいなのは、各種インタビュー記事を見ていると思い浮かんできます。むしろ、自分は経済を回しているヒーローだとか、思い込んでいる風な感じがします。とんだ勘違いですが。

今回のコロナ禍でチケット転売ができなくて、あるいは、チケットの払い戻しの手続きが大変で、自分は被害者だとか思い込んでいそうな節もあります。
彼らは自分が悪人だとは思っていないでしょう。もしかしたら善人やヒーローだとすら思っているかもしれません。

「スーパーになかなか売っていない粉モノをスーパーで見かけたので、皆さんに行き届くようにするためにメルカリに出しました!」と言っている主婦がいるとも聞きますし。
まさか自分が「悪人」になっているとは思わないでしょうね。「善意の道が地獄に続いている」みたいなのは、よくあることです。ちなみにこれはヨーロッパの格言だそうですので、日本人特有のことというわけではないようです。人類って、こういうものなんでしょうね。

(正確には、「地獄への道は善意で舗装されている」だそうです)

日本の田舎の村八分風習だけではないし、日本特有の感情でもないし。人間というものがもつものなんでしょうね。

そういえば、クラスの中でイジメがあったとして、いじめっ子は、まさか自分が「いじめ」をしているとは思っていないという話を聞いたことがあります。クラスの輪からはみ出したやつを懲らしめてやろうという発想なんだとか。いわゆる道徳の授業で「善とはこういうものだ」という思考を植え付けるとか、クラスの団結を求めるとかしてしまうと、少しでもはみ出した人を許せなくて、「懲らしめ」に走るんだとか。でもそれは「いじめ」になるわけで。善意だと思って、あるいは正義だと思って「懲らしめ」をしていても、後から振り返ればそれは「いじめ」に他ならない。

Wikipediaの「地獄への道は善意で舗装されている」の「集団の倫理的な行動を改善しようとする試み…」以降の話は、そういったことを書いているのだと思います。

なので「いじめはやめましょう」という標語を掲げても、ハナっからその行為が「いじめ」だと思って行動している人はいないだろうし、「悪いことはやめましょう」といったところで、ハナっから「悪いことをしている」と思って行動しているわけでもない。
ましてや「自粛警察」「自粛ポリス」が、「自分はいじめをしているんだ」「自分はフリーザみたいな悪人なんだ」と思って行動しているわけもない。

そういう意味では、そういう人に対しては、とりあえず「正義」だけど「正義が暴走している」というロジックで説明してやらないと、通じないんだろうなという気がします。


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2020年05月18日

「マウスふるふる」への新たな要望。非インストール、非設定保存、とにかく足跡を残さない

昨日、SNSをめぐって、「マウスふるふる」についてエゴサしていましたところ、私のところには直接届いていませんが、新たな要望を見かけました。

余分なソフトを使ったという形跡、足跡を一切残したくない、というもの。

環境によっては、パワーユーザー/管理者的な権限を与えられていなくて、ソフトウェアのインストールができないというケースもあるかと思います。デスクトップにexeファイルを展開して実行するくらいしかできないとか。

あるいは、インストールはできるけど、会社から配られた監視ソフトが入っていて、何をインストールしているかを(レジストリの情報等から)抽出されてしまうとか。

まぁ、おそらくそういう事情なら、PowerShellスクリプト版を使ってもらうのが、最も手っ取り早いとは思いますが、もしかするとexe本体の方にもそういう仕掛けがあってもいいかもしれないですね。

まず、非インストールということであれば、通常圧縮版(zip版)を使えばよいことになります。

次に、設定をレジストリ残さないということであれば、コマンドラインオプションの /O オプション、または、exeファイル名を mousefr_o.exe にリネームしておくという方法があります。この方法を使えば、設定はカレンとフォルダの ini ファイルに保存されます。

ただ、iniファイルにすら保存されたくない、ということになると、そういったリクエストには答えられないので、新たな機能を追加する必要があります。

例えば、コマンドラインオプションで /N オプションをつける、または、mousefr_n.exe にリネームしておけば、設定を一切残さないという機能はどうでしょう。

この機能を欲しがっているご本人に連絡を取るわけにはいかないので、実際の需要はどうなのかは分かりませんが、ひとまずそんな感じの機能追加をしてみようかと思います。
正式版本体への機能追加は後にして、ひとまず、あらかじめmousefr_n.exeにリネーム済みの版をダウンロードできるようにしておくのが良いでしょうかね。

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2020年05月17日

めまいがする時代の変化、常識の変化、NGラインの変化

志村けんさんの死去をきっかけとして、YouTubeのイザワオフィスの公式チャンネルで、過去の「志村けんのだいじょうぶだぁ」をまとめたものが公開されております。

本来はテレビで流したいところだが、処々の事情によりテレビで流せないのでYouTubeで流すという、結構勇気ある決断だったかと思います。処々の事情とは、田代まさしさんのことなんだと思いますが、そういう「タブー」めいたものは、テレビよりは「マシ」なのがYouTubeの世界なんでしょうね。

いや、まぁ、タブーかどうか、人により意見が分かれるし、最近の状況から言えばむしろタブーとすることの方が問題ではないか(世間から切り離したり、収入を断ったりする方が、むしろ社会復帰を遠ざけてしまう)というのもあるのですが、昨今のテレビ・映画業界では、やっぱりクレームを恐れるばかりに、遠ざけがちなんでしょう。
そういう意味では、YouTubeでの公開ならば、クレーム対応は事務所が事故の責任の下に行えばよい「だけ」ということにおなるので、比較的通しやすいのかもしれません。

ところで、そんなタブーの存在しないはずのYouTubeでの「志村けんのだいじょうぶだぁ」の公開ですが、 #8 が一時公開を取り下げられておりました。

そういったタブーとは無縁ということで、YouTubeというメディアが選ばれたんだと思っていたので、いったい何が起きたのか?と思ったのですが、どうやら、家賃を払えない学生と大家さんのコントの中で、学生(田代まさし)の部屋のふすまに貼られたヌードポスターが映ってしまうシーンがあり、「さすがに18禁エロはYouTube的にはまずい」という判断が下されたんでしょうね。場合によっては収益化停止(収益は寄付されると表明されておりますが、そういう事情はYouTube的には関係ない)、チャンネルそのものを消されてしまう恐れもありますからね。

それにしても、逆に言えば、1980年代〜1990年代のテレビ事情的には、ゴールデンタイムの、子どもが見るようなコント番組にヌードポスターを貼るのは「アリ」だったというわけですね。

そういえば、志村けんのバカ殿様でも、正月スペシャルのすごろくで、上半身裸の女性が出てきていたような気もします。
そのころ、自分は小学生か中学生くらいだったと思いますが、普通にテレビに出ていた上半身裸の女性を見ていましたからね。

っていうか、さほど有名になる前の はるな愛が、バカ殿様のおケツにアレをぶっさすみたいなシーンもあったような気がするし。

おそらく、上に書いたようなシーンは、いずれも2020年代としてはNGということになるかと思います。
なんなら、2人のお笑い芸人が隣同士に並ぶタイプの漫才で、ツッコミと称して相方を叩く行為自体が忌避されるようになるかもしれません。
「ぺこぱ」の突っ込まないツッコミが重宝がられそうですね。
いわゆる、お笑いでいうところの「イジリ」の根本が「イジメ」を「笑う」感情の延長にあるということが、最近なんとなく共通認識になりつつあるようですし。
相撲の「かわいがり」(かわいがってやるよ)が、イジメからきているというのが、ほぼ共通認識になっているのと同じかな。

8年くらい前に、ジョークソフト「疑似シリーズ」で、ウィンドウが不意に動くのを「時代遅れ」と糾弾するメールが来たことでショックを受けたことがあったのですが、世の中の時代の変化、常識の変化、NGラインの変化は、目まぐるしく変わっているのかもしれません。

あるいは、そういう常識の違い、NGの違いが、インターネットの普及等々の様々なことから明らかになったということかもしれません。
小さな、無視すべきクレームが目に付くようになったとみるべきか。
あるいは、多種多様な小さな声が拾われるような時代が来たと見るか。

クレーマーと見るか。
マイナーだった人権侵害の可視化と見るか。

テロリストの要求には応じないが、銀行強盗の要求には応じるのか。
時代の変化という言葉で片づけてしまうのは簡単ですが、こういったトラブルが地震に降りかかった時、どう行動するかを瞬時に正しく(後々の人が正しかったと振り返ってくれるような身の振り方を含め)判断するのは、なかなか難しいことです。

posted by ayacy at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ